都連盟の未踏峰タシカン−T峰登山隊に参加する。手作り登山隊なので準備作業も自分たちで行う。先発隊は7/24に出発、カトマンズでトレッキングの準備、装備の点検、レンタルなどを行って本隊を待つ。本隊は8/4出発、リトルトゥクチェグループと合わせて総勢21名、関空経由でカトマンズへ。ポカラまでは夜行バス、ポカラからはダウラギリT峰を眺めながらの早朝フライトでジョムソムに到着する。2年振りの街、懐かしい。朝食後トレッキングを開始する。
 途中までは前回と同じ道、高度順応も順調に消化して、タシカンのABC(5350m)には日本を出発して8日目に入る。登山のルート工作はシェルパを中心に二日間行われ、前衛峰と本峰をつなぐ稜線に向けて、東側の氷河からルートを延ばす。8/14未明からタシカン−T峰に11名、V峰に3名でアタックが開始される。T峰へはシェルパを先頭に登高ルートを延ばしながら(必要によりヒックスロープを張る)、隊員がその後を登るスタイルで高度を稼いでいく。稜線への最後の氷壁を登り切るとV峰が望め、同時アタックをしていた仲間の姿を確認、お互いにエールの交換をする。新雪で不安定な稜線を緩やかに登り、小さなピークを越えるとガスも晴れ、目の前に本峰のピークが姿を現した。標高約6000m、この時点でアタックの予定時間を過ぎていたが、登りたい気持ちが優先して前進する。本峰手前のピークへは氷壁を水平にトラバースして、右から裏側に回り込みながら越す。本峰への最後の登りは急で50mのザイルが届かず、途中からノーザイルで登る。ピーク手前の稜線への氷壁は下部で撤去してきたザイルを使用してクリアーする。切り立った稜線をつめると山頂だった。
 先頭のMO女史が日本時間17:40(ネパール時間14:25)にGシェルパと到着。その後、岩ア、KA女史、KO女史、Lシェルパ、Kシェルパが続き、共に記念写真を撮り合い、15時頃より下山開始する。下山は疲れもありアンザイレンし、ヒックスロープ部では懸垂下降で下る。アタックを開始して16時間、疲れ切ってキャンプに帰り着く。V峰へアタックした3名も無事登頂を果たした。
 アタックから二日目、下山途中にあるリトルツクチェピーク(5846m)へのアタックを計画し9名が登頂する。タシカンとリトルの2峰とも登頂した強者もいた。先のリトルグループも4名が登頂していて、今回のサミットでは天候にも恵まれ、日程の余裕も有り、隊員21名で3峰合わせて20名の登頂者を記録した。 ジョムソムに帰りポカラへのフライトを待つが、今までの好天が嘘のように天候が悪くなり、飛行機は飛んできそうにない。帰国の日程が迫って、どうしても歩いて帰る(ベニまで)グループに入って、3日の日程を2日で歩き通し、バスを乗り継いで帰国一日前にやっとカトマンズに帰る。最後まで大変なサミットだった。
    報告書の山行記録は別紙に掲載する。

ネパール・タシカンT峰

8月4日〜25日

羽田集合−関空−カトマンズ−(車中泊)−ポカラ−ジョムソム〜マルファ(L泊)〜アルバリ(T2泊)〜
カロパニ(T泊)〜ヒドン・バレーキャンプ地(T2泊)〜タシカンABC(T4泊)〜リトル・トゥクチェBC(T2泊)〜
マルファ(L泊)〜ジョムソム(L3泊)〜?(L泊)〜ラグハット(L泊)〜カトマンズ(H泊)−(機中泊)−
関空−羽田解散

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山頂直下