8月5日(月) ポカラ6:30−ジョムソム8:40−マルファ10:10

 寝不足の状態でポカラ着。天気は悪くはない。一番機は6:30、続いて二番機が飛び、スタッフを含めて全員が無事に機中の人となる。良い天気の中、ダウラギリを眺めながら約30分でジョムソムに到着。先発隊、スタッフが出迎えてくれ、予定通りのフライトを喜び合う。
 懐かしい町並み、二年前と同じロッジで朝食。中庭ではトレッキングの準備が忙しく行われている。朝食後、暑いくらいの天気の中を、これからのトレッキング、高度順化、アタックへと思いを巡らしながら、懐かしい街道をのんびりと歩く。マルファの街の入口にあるロッジに投宿。
 昼食前に早速街に出かける人、ゆっくり部屋で横になっている人、これからのトレッキングの準備をしている人、すでにアルコールを戴いている人もいた。
 昼食後も各自の自由時間で、居酒屋、高度順応、散歩、昼寝、・・・、明日からの本格的なトレッキングに向けて充分休養(?)をとっていた。夕食後は隊員、スタッフの紹介、その後、和やかに交流会も行われた。

8月13日(火) タシカン・ABCにて休養日

 昨日のルート工作で前衛峰からのアタックは難しいとの結論で、右側の氷河をつめてる事になり、明日のアタックへ向けて本日は休養日となった。天気は少し下り坂の感じだが、各自明日のアタックの準備をしている。午前中は明日のアタックの開始点である氷河湖の有る処まで偵察に出かける人、しっかりと休養のために寝ている人、最後の高度順化で前衛峰へ向けて登っている人など、各自、少しずつ気持ちを高めている様子がうかがえる。
 昼食時に、石原隊長からルート的にも難しくないV峰へのアタック隊を、別途編成したい旨の提案が出された。V峰も6157m峰でT峰へのアタックが難しいと思われる人は、V峰へのアタックを検討しても良いのではないか、一人でも多くの人が山頂を踏めるチャンスを設けたい、旨の説明があった。結局、T峰は12名、V峰は3名で挑戦することになった。
 午後のミーティングでは、明日のアタックの状況予測と問題・注意点、各自の期待や決意などを話し合った。早めに夕食をとり、明日の晴天を期待してシュラフに入る。

8月20日(火) フライト待機日

 6:00朝食。ポカラへのフライト日で二番機の予定。パッキングを済ませ出発準備を完了させて待機する。天候は良くない。皆、ポカラ方向の空を見上げてイライラしている。昨日はジョムソムは天気が良かったがポカラの方が悪く、お昼少し前に飛行機三機が飛んできて、約5時間待った人達を乗せて急いで帰っていった。
 結局、飛行機は一機も飛んで来なかった。予定では後二日の予備日がある。明日のフライトに期待して、各自、自由時間を過ごす。
街へ散歩に出かける人、居酒屋へ入って楽しい気分になっている人、自室で読書する人、テラスで日記を書いている人、疲れてしっかり寝ている人、日本への便りを書いてポストオフィスへ出しに出かける人、空を見上げている人、帰ってからの仕事のことを考えている人、お土産を探しに何処かへ出かけている人、など、いろいろ。

 ロッジのテラスから臨めるニルギリは今日一日姿を現してくれなかった。夕方、昨夜行われた「打ち上げ会」の続きが行われる。明日の好天を願うかのようににぎやかに、歌と踊りが繰り返された。

8月24日()〜25() 帰国 カトンズ23:40-RA411便−上海−関空13:25-NH144便−羽田

 ジョムソムから先に歩き始めたグループは、本日の直行便にて帰国予定。昨夜遅くカトマンズに到着したこともあり、お土産などの買い物は、シェルパの案内で出かけるグループ、一人で歩いている人など、いろいろ。
 遅れていた荷物が午後到着、やっと着替えをした人もいたようで、忙しくパッキングを行う。夕方、相澤さんのバースデイパーティー、皆で御祝い。
 20時頃にシェルパ、後処理組、残留組の見送りを受けて7名が空港へ出発、オーバーチャージを取られたが、無事出国。いろんな事を思い出しながら帰国の途に付く。
 上海で給油後、ほぼ予定通り関空着。税関から国内線への乗り換えも順調に行え、懐かしい日本食の昼食も慌ただしく戴いて羽田へ向かう。全員元気に到着、解散。

      夢は大きく、見続ける  未踏峰タシカンを登り終えて

 三度目の6000m峰への挑戦、夢の「未踏峰」、このチャンスを是非とも生かして登頂したいと願って参加する。又、最初に6000m峰を共に登った友人の富士山での遭難死も、気持ちを新たにして臨むきっかけになった。
 準備段階での登頂コースは、V峰を経由しての6000m峰縦走で計画され、体力と共に高度順応が成功の大きな要素を占めるだろうと考えていた。国内での高度順応では、富士山への登山は一度しか計画できず、少々不安を感じながら出発した。

 不安のあった高度順応については、3700mでの4300m順応と、ダンプスパスを越えての4750mでの休養滞在、更に、その日の到達高度点以下での就寝も良い結果をもたらし、苦しむことなくABCに入れた。又、今回は医療担当のアドバイスもあり、ABCからバッファリンの服用を始めた。効果があったと思う。
 又、前回苦しめられた4800mへの稜線通過と、パスを越えるまで好天に恵まれた事も、体調を崩すことなくABCまでの日程消化が、順調に行えた大きな要素と言える。 アタックのルート工作が進むにつれ、6000m縦走が色々なことで難しくなり、一発アタックに変更され、高度5350mからの標高差約1000mのアタックとなった。 ルート工作は、シェルパが先行してルートを延ばし、その後を隊員が続くスタイルで行われる。12名の隊員が登るにはそれなりの時間が掛かり、先頭グループに居ないと登り切れないかもしれない不安を感じた。

 アタック当日は隊長の指示で最後尾からのスタートとなる。氷河からの取り付き点までのトラバースから、最初の岩稜まではそれほどの待ち時間もなく順調に進む。急なガレ場で先に出発してシェルパに続いて登り始める。その後は先頭グループにいて高度を稼ぐ。6000mの稜線からはルート工作に時間が掛かり、待ち時間がかなり発生した。霧の合間から山頂が姿を表すと、登りたいと言う気持ちが一層強まってきた。雪壁のトラバースから頂上直下の急な上りを登り切り、山頂へと続く切り立った稜線への氷壁を越え、暫く登ると山頂は目の前だった。出発して約12時間、取り付き点から約9時間を要した。
 どうにか登る事が出来たのは、シェルパやみんなの協力が有ったからだと思うし、“登らせていただいた”と言うのが本音、それに“登りたい!”と言う気持ちが強かったことと、最後まで持ち続けられたのが決め手かもしれない。更に、食事や高度順応などで体調を崩すことなくアタックに臨めたこと、ABCでの休養(実際は体力低下を最小限に抑えた)も十分に取れたことなどが上げられる。

“夢”は見ること、見続けることで達成できると思うし、限りなく大きく広げられるのも夢ではないかと思う。これからも自分なりの、自分のための大きな夢を見続けたいと思っています。 
                                        

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