翌日、トレッキングの起点となるツムリンタールへ無事に飛べた。この場所は11年前のトレッキング終了時に、カトマンズへのフライトがキャンセルされて、スタッフはすでに帰路についた後で、空港前の綺麗でないロッジに泊まった嫌な記憶が蘇る。空港前の町並みはすっかり変わり、小奇麗なホテルが建てられていた。スタッフと合流して専用車でトレッキング出発点のヌムへ向かう。11年前は歩いて三日間もかかった。ヌムからはトレッキングコースを離れて東側へ下る。アルン川を渡り急坂を上ってSimma、Ekuwaを過ぎBarrate Danda(尾根)を登る。このコースはトレッキングコースとして整備されておらず、地元のガイド無しでは歩けない。さらにアップダウンも大きく、体力に自信のない人向きではない感じだ。
歩き始めて5日目に4200mの峠を越し、雪で凍っている道を注意して下りBaule Pokhari上部のテント場に到着する。今回の期待した展望地でマカルーの東側の展望だけでなく、遠くエベレスト、ローツェも展望できる場所だ。翌日、星空の下で夜明けを待つ。目の前にマカルーが聳え、遠くエベレスト、ローツェが望める。日の出から約2時間、ガスで山並みが隠れるまで撮り続けていた。が、天候が安定せず夕焼けは残念ながら撮れなかった。
展望地を後にして4300mの峠を越し、通常のトレッキングコースに合流する。バルン川まで下り、ガレて歩きにくい道を進んでヤングレに着く。さらにランマレを経て歩き始めて10日目にやっとマカルーBCに到着する。
此処までの天気が余りよくなくて、お昼頃には山は雲に覆われてその姿を望めなくなる。BCからのマカルーは夕焼けが主で、このままでは写真を撮れそうにないと心配する。BC滞在2日目もガスと雲で山は姿を隠してしまった。諦めきれずに昼食後に、晴れることを願いながらエベレスト、ローツェも眺められるBC左岸上部に上ることで出発する。上がるにつれて晴れてきて、標高約5200m付近で待機する。が、エベレスト、ローツェは最後までスッキリとは晴れず雲を靡かせていた。一方マカルーやピーク4は綺麗にその姿を見せてくれた。夕焼けを撮り終えた満足感を胸に、ヘッドランプを頼りにテント場に帰り着く。
翌日早朝はピーク4の朝焼けも撮れて気持ちよく下山を開始する。下山中も午前中のみの晴天で夕焼けは撮れなかった。ヤングレからピーク5の上にマカルーが朝日を浴びた頂きを出していた。ドバテまで戻り通常のコースでシプトン峠を越えて、トレッキング終了地のヌムへ向かう。ヌムで専用車に乗り換えて帰りのフライト地のツムリンタールに向かう。鬼門のこの地でまたもやトラブル発生、カトマンズへのフライトがキャンセルされた。天候が悪いとのことだが、三ケ月前からガソリンが不足していてその為かもと言う噂もあった。カトマンズからの情報で明日も飛ばない(ガソリン不足の為?)らしい。どうする!。相棒は国際線チケットの出発を1日遅らせた。方法は路線バスで帰るしかないとのことで、翌日早朝から専用車でバス発着地ヒレへ向かう。路線バスに乗り換えカトマンズまで約25時間、合計31時間の脱出劇だった。飛行機で約40分なのにね! 疲れた!
この経過にはおまけがあって約三ケ月前に公布された新憲法をめぐり、隣国インドが親インド住民の「マデシ」の権利擁護を要求し、両国関係が悪化している。国境での物流が制限されてガソリンが不足している。さらに夜間走行しているバスなどに投石して妨害している。カトマンズに向かうバスなどは一ケ所に集合して、警備隊を先頭に数珠つなぎで走行する対策を取っている。その為に約2時間も待たされた。
カトマンズではガソリンはもちろんインドからのガスも不足していて、飲食店は火力の弱い電気を使って調理しているとのこと。行きつけの店の店長は「困っていますが、どうしようもない!」とぼやいていた。ガソリンを求めてスタンドに延々と車の列が続いている。お金を払っても車をチャーター出来ないらしい。
一日も早く解決してもらいたいものだ。