ネパール・マカルーBC〜チュクン

レスキュー・ヘリ

レスキュー・ヘリを待つ

最後のテン場(4550m)

ただ一回だけの撮影

ピーク4

ピーク6(6739m)

ピラミッド・ピーク(6809m)

南与野8:05−羽田空港9:23、10:15−関空11:30、14:00−広州17:15、19:10−カトマンズ22:10(H3泊)
−(夜行バス)−Tumlingtar−Num(L泊)・・・Seduwa(L泊)・・・Tashi Gaon(L泊)・・・Kauma(T泊)・・・
Dobado(T泊)・・・Yangle Kharka(L泊)・・・Tadosa Kharka(T泊)・・・Ramana(T泊)・・・Tadosa Kharka(T泊)
・・・Yangle Kharka(T泊)−カトマンズ(H5泊) 23:15−広州5:40、9:30−成田14:30−東松戸−南与野17:13

 ネパールのマカルーBCへは9年前に内田良平先生の写真教室で出かけて、マカルーの写真を撮ってきた。今回はBCからさらに奥に入りシェルパニ・コル(峠)を超えてチュクンへと歩くことで計画した。また、秋の予定が決まっていたので春のこの時期に雪が多いことと、天気を少々心配しながら出かけた。

 今回は羽田から国内線で関空へ向かい、広州を経由してカトマンズに夜遅く到着した。荷物も23sを二ヶ預けられて、ロッジ泊時と峠越え時の日本食も持ち込んだ。

 打ち合わせを済ませた翌日の出発フライトがキャンセルとなる。3日間もフライトキャンセルしているらしい。翌日の予約も取れず相談したあげく、路線夜行バスでトレッキング出発地へ向かうことになった。あまり広くもない座席、途中バス、ジープを乗り継いで、よく眠れないまましっかり疲れ切って出発地のNumに夕方到着する。延々27時間の車の旅となった。翌日からトレッキングを開始する。一度訪れているのだがかすかな記憶しかない。初日は大きく下って上り返して初日のロッジに到着する。この下りと上りは前回の記憶が残っていた。この頃から喉の痛みを覚えて風邪を引いたのだろうと、少々不安になり事前に用意してきた処方された風邪薬を飲み始める。

トレッキング4日目は約4100mの三つの峠越え、霧から小雪に変わり峠越えの頃には風雪状態になってしまった。前回も新雪に苦労したことを思い出す。寒い中でのランチ(お弁当)を食べて峠を下ってテント泊となる。此処でも雪の中でテントを設営した前回のことを思い出した。体調は良くならず咳、タンが出始めた。

 5日目もお昼前から小雨が降り始める。川近くまで下り冷たい風の中を歩いたこともあり体調は相変わらず良くない。6日目は予定を縮めて約2時間歩いて手前のテント場で泊まる。この日も午後から雪が降り始める。

7日目、早朝は良い天気ながら歩き始めて暫くして小雨から小雪に変わる。稜線近くに近づくと風も出てきて寒風を吸い込むと、痛い喉のせいもあって歩くのも辛いほどに咳き込む。咳とタンが止まらず荷物を持ってもらって非常にゆっくりとした歩きで上る。それでも空身で歩くのも非常に辛く、約4550m付近のテント場にやっと着いた。マカルーの姿を見ることなく此処でトレッキングを中止する事にした。悔しい。中止を決めてから抗生剤を飲み始めた。

 8日目、9日目とゆっくりと歩きながら下り、Yangle Kharkaでレスキュー・ヘリを待つことにする。事前にスタッフに電話のあるところまで走ってもらい連絡をしてもらう。10日目(4月27日)早朝からヘリを待ち、9時頃ヘリが飛来してピックアップ後、カトマンズへ運んでもらった。カトマンズは暖かで咳は不思議と治まった。診察結果はしっかり高山病(高地肺浮腫)と言われた。

 帰国のフライトチケットを新たに購入して5月2日にヨレヨレ状態で帰国した。どうしてこうなったか今でも信じられない。高山病に対しては今まで高度順応も比較に容易に対応できていたのに?、たぶん風邪をこじらせてしまって、気管支を痛めてしまったせいだろうと思っている。が、是非ともリベンジをと考えている。以前から写真仲間とレスキュー・ヘリに乗ったらトレッキングは終わりだなーと言い合っていたが。今は体を元に戻して鍛え直そうと思っている。これに懲りずに秋には元気に写真トレックをと、すでに計画を進めている。

買い直したチケット

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