(国際公募登山隊)

ネパール・ギャゾリ

5月11日〜6月1日

関空→カトマンズ(3H泊)→ルクラ〜パクディン(L泊)〜ナムチェ(L泊)〜クムジュン(L泊)〜
ドーレ(L泊)〜マチェルモ(L泊)〜BC(4T泊)〜マチェルモ(L泊)〜ナムチェ(L泊)〜
パクディン(L泊)〜ルクラ(L泊)→カトマンズ(4H泊)→関空

 ネパール山岳協会主催のエベレスト登頂五十周年記念の国際公募登山隊に参加する。日本からは6名が参加、現地で1名追加して計7名。その他、ルーマニア(3)、ブラジル(6)、クロアチア(3)、ロシア(3)、スロバキア(2)、総数24名の登山隊となる。
 サミット対象はパリラプチャ(6017m)、マチェルモ(6273m)、ギャゾリ(6186m)の三座、マチェルモは岩と雪の雪崩が激しくて短時間ではアタックは無理、結局パリラプチャへ21名、私を含めた日本人3名がギャゾリを選択して、それぞれのBCへ向かう。
 パリラプチャはすでに約75lヒックスが終了していたが、ギャゾリは登山活動と同時にヒックスロープのメイキングが行われた。BCに入って3日目の5月21日、5:20〜アタックを開始する。ガイドはヒックスのメイキングで先行していて、私とK女史二人でヒックスを頼りに、岩と雪のミックス帯を登る。標高約5250m時点でロープが無くなる。さらに、ガイドを先頭にノーロープで登り続ける。
 標高5360m時点で、山頂迄(標高差約800m)にはかなりの時間とノーロープでは下山に危険が伴い、K女史と相談して13:30下山を決める。ロープが無い理由はともかく、登りたいのに登れないと言う非常に残念な結果になった。パリラプチャは10名が登頂、結局、日本隊は一人も登頂できなかった。参加者の技術の違いを改めて感じた。 
 後日談になるが、本当のギャゾリは、今回の山の更に奥に聳えていて、昨年イギリス隊が約一ヶ月を要して登頂したとのこと。このミスをネパール側も暗に認めていた。実際アタックした山の標高は5559mだったらしい。事前に解っていたら(K女史はそう思っていたらしい?)、無理しても登ったのに、残念!。
 国際隊に初めて参加して感じたことは、世界のクライマーの山に向かう謙虚な気持ちと紳士な態度である。日本隊の行動に、心ならず恥ずかしい思いを感じた。
 トレッキングやカトマンズでのセレモニーでは楽しい事が一杯で、こんなに安い料金(800$)で申し訳ない気持ち一杯だった。ヒラリー卿やメスナー、その他、世界の有名クライマーにも会えたし、労山の近藤和美さんとは同室で色々と勉強をさせていただき、楽しい思い出になった。

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