K2バルトロ氷河トレッキング

7月20日〜8月13日

7/20:成田--北京--イスラマバード                   
7/21:イスラマバード滞在、トレッキング手続き             
7/22:イスラマバード--スカルド                    
7/23:スカルド滞在                         
7/24:トレッキング開始、スカルド--コンガ(2900m)           
7/25:コンガ--コルホン(3109m)                    
7/26:コルホン--バルディマル(3253m)                 
7/27:バルディマル--パイユ(3785m)         
7/28:パイユ滞在、ポーター休養日             
7/29:パイユ--ゴブルツェ(3951m)                   
7/30:ゴブルツェ--ウルドカス(4240m)                
7/31:ウルドカス--ゴレ2(4500m)                  
8/01:ゴレ2--コンコルディア(4650m)                
8/02:コンコルディア滞在、ブロードピークBC手前まで往復、往路をアスコーレへ戻る、
8/03:ゴレ1、
8/04:ゴブルツェ、
8/05:パイユ、
8/06:チョボラック、
8/07:コルホン、
8/08:コンガ、
8/09:スカルド、トレッキング終了、
8/10:チラス、
8/11:イスラマバード、
8/12:カラチ、
8/13:帰国へ

 パキスタンは今回で3回目、昨年今回と同様のトレッキングに参加するも、時ならぬ大雨でカラコルムハイウエイを始めスカルドへの道が寸断されて、トレッキング開始地点までも行けず悔しい思いをした。昨年参加した8人のうち3名が参加、今年こそ・・・そんな気持ちで成田を出発する。
イスラマバードからスカルドへは飛行機で飛び、機内からのヒマラヤ、カラコルム山脈の眺めは素晴らしく幸先良いスタートとなる。体調もトレッキング初日から2日間だけ下痢気味でその後は実に快調、高度順応も参加者全員うまくいきツワーリーダ
ーも呆れるほど食欲旺盛、夜もぐっすりと休めた。しかし昼間の気温は氷河に出会うまでは日が昇ると体温をはるかに超え、想像していたよりきつく汗は流れる暇もなく乾燥し喉はカラカラとなる。長袖のシャツと日除け・日焼け対策は重要、一日の気温差は50度にもなった。
 氷河上に上がりトレッキング7日目から遠くにブロードピーク(8047m)が見えだし、続いてガッシャーブルムW峰(7980m)、念願のK2(8611m)はコンコルディアに着いてやっとその全容を見ることが出来た。途中の秀峰パイユ・ピーク(6601m)、岩の城壁トランゴ・タワー(6294m)、麗峰マッシャーブルム(7821m)、怪峰ムスターグ・タワー(7273m)、カテドラル(5866m)・・・・・なども素晴らしく、思う存分写真を撮った。
 コルディアでの2日間は長年の夢がかなった喜びと、正直な気持ち凄い所だなあ・・、よく来れたなあ・・・と、感無量で飽きもせずに朝早くから日が落ちるまで、山々を眺め、写真を撮っていた。世界第二位の高峰・王者K2はさすがに大きく化け物のように目の前に聳え、寄り添っているエンゼル・ピークの真っ白い三角錐の姿が印象的、左側にクリスタルピーク、マーブルピーク、右側には広い頂のブロード・ピークがどっしりと座り、さらに輝く壁ガッシャブルムT〜Y峰、特にW峰はバルトロ富士の如く綺麗な姿をしていた。更に後ろを振り返るとなだらかな山容に真っ白く雪をまとった黄金の王座バルトロ・カンリ、遠くに花嫁の峰チョゴリザ、すぐ後ろが鋭鋒ミーター・ピーク、さらに歩いてきたバルトロ氷河が延々と続き、その彼方にパイユ山群、トランゴ針峰郡が望める。まさに大自然の壮麗な”円形劇場”の言葉通りの眺歩いてきたバルトロ氷河は想像していたより遥かに大きく全長約50km、コンコルディアまで約34km、モレーンに覆われた表面は平ではなく大きな丘の連続と言った感じで、高さ20〜30mのセラック(氷の固まり)があちこちに点在し クレバスが深い口を開けている。表面のモレーン(砂利)を払うと下は氷、氷河である。トラバースするとき注意しないとクレバスに滑落する。このバルトロ氷河、日本からのトレッカーは解放されて約10年で300〜500人が訪れている。ネパール等と比べるとはるかに訪れる人は少ないが、行程が長いことで登山隊を含めて編成人数はかなりの数になる。今回の私たち(5+1)名の隊はスタッフとポーターは合わせて58人、途中で順次解雇するにしても少々びっくりする数である。登山隊になるとその数はもっと増える。
 そのポーターを含めた人たちのトイレは数えるほどしかない。それにパキスタンでは普段から外で用を足す習慣がありキャンプ地の周りは足の踏み場もないほどに**が散乱している。参加した私たち外国人もトイレテントを作らないと同様に用を足し、色とりどりの紙が風に舞っている。氷河上以外では乾燥した環境で自然と風化してしまうが間に合わない。ガイド・スタッフはトイレを作りその利用を促したりして努力をしている様子、日本とは格段に違う環境で考えさせられる問題である。コンコルディアからの帰りは名残惜しい気持ちで一杯、長い道のりを注意しながらスカルドへ。今回は天気にも恵まれ、ほとんどの山を見ることが出来写真も撮れ、頑張って中判カメラを2台持ち込んだ甲斐があったかと思う。成果のほどは?だが。 トレッキングが終わってスカルドのロッジの野外レストランで日本から持ち込んだ酒で酒盛り、禁酒国では絶対に出来ないことで、ウエイターも仲間にして(内緒で)気持ち良く盛大に酔っぱらった。忘れられない一時だった。
 スカルドからの帰りは空港でチェックインをしたにも関わらず飛行機が飛ばず、灼熱のカラコルムハイウエイを冷房のないバスで2日間も走って帰る事になる。日が昇ると車体が暑くて触れないほどになり、風が熱風で暑く窓は閉めたままの状態でジッと我慢、1日目を走り終えてさすがにガイドも堪らなくなって急遽冷房バスを手配、イスラマバードから夜を徹して来たバスに乗り換え2日目は快適に過ごせた。それにしても長い800kmだった。

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