ヒマラヤ写真撮影紀行-その2
戻る

ネパール

カンチェンジュンガ山群
 カンチェンジュンガはネパール東部とインドとの国境にあるシッキムヒマラヤの中心をなす山群の主峰で、エベレスト、K2に次いで世界第三位の峰である。このカンチェンジュンガへの展望は、11年前にネパール側から南面BCと北面BCから眺めた。2013年はインド側から入りカンチェンジュンガを眼前に仰ぐゴーチャ峠(4940)を目指し、朝焼けに燃える雄姿を撮る為に出かける。が、天気が良くなくて雄姿が姿を現さない。下山途中のタンシン近くの展望台で薄明かりの中に雪をまとったカンチェンジュンガが望められた。寒くて膝が小刻みに震えながらシャッターを切った。 

ガネッシュ山群
 ガネッシュ山群は200510月に北面のトロ・ゴンパ氷河を奥深くまで入りガネッシュⅠ峰、Ⅲ峰、Ⅳ峰などを眺めてきた。2014年は南面から訪れて、前半でトリスリ・バザールから入ってⅡ峰とⅣ峰を間近に仰ぎ見る高みへと登る。後半は二つの峠を越えてブングレ・コーラを遡り源流まで入ってⅡ峰、Ⅴ峰、Ⅶ峰さらにパルドール峰を眺めてきた。 

マナスル山群
 マナスル山群へは200510月ガネッシュ山群に続いて東側からラルキャ・ラを越えて西側へと歩いた。2016年春に東側の撮り残しと、チューリン・コーラを遡ってのバウダ・ピークとヒマール・チュリを眺め、さらにプンギェン氷河からのマナスルとピーク29などを撮る予定で入るが、あいにくの悪天候でシャッターを切れず宿題になった。西側の撮り残しは2016年秋にビムタンまで入り、チェオ・ヒマール、パンバリー・ヒマール、マナスルなどの夕焼け、テリジェ、ギャジカン、チェオ・ヒマールの朝焼けを撮る。 

ダウラギリ山群
 ダウラギリ山群への写真トレックは2004年にダウラギリBCへ、2007年には東側のツロブギン峠へ、2010年にはツロブギン峠の再訪後北側のフレンチ・パスに出かけ、それぞれ違った姿のダウラギリ山群の山々を撮ってきた。2011年はミャクディー・コーラから峠を2カ所越えて、西側のグストゥン・コーラから、カペ・コーラを遡りカペ氷河まで入った。カペ氷河BC上部(標高4500m)に2泊し、目の前のチューレン・ヒマール(7385)、左にプタ・ヒウンチュリ(7246)、右にダウラギリⅥ峰(7268)、グストゥン・ヒマール(6529)などを撮る。さらに帰りにはダウラギリⅠ峰が望めるジャルジャ・ラ(峠)に行くも、天気が悪くて3日間とも三脚を構えるだけでⅠ峰の夕焼けは撮れなかった。 

クーンブ山群
 2012年はメラ・ピーク(6451)からの写真を撮りたくて計画する。が、アタックは時ならぬ降雪でハイキャンプ上部にて中止した。山頂は踏めなかったものの、ハイキャンプからの眺めは抜群で、遠くチョー・オユーからエベレスト、マカルー、チャムランと、すばらしい展望を撮れたことで満足しながら下った。

 2013年の春はマカルーBCへの再訪とシェルパニ・コル(5688m)を超えてチュクンへと歩くことで計画した。が、天気が悪くて夜行路線バスとジープにて陸路を27時間も揺られてトレッキング出発点に到着する。疲れたのか体調を崩して風邪をこじらせ咳が止まらず4550m当たりで引き返す。初めてのレスキューヘリで帰り着き、高山病(高地肺浮腫)と言われて早々に帰国する。

 2013年の秋は2012年の秋に、時ならぬ降雪で途中敗退したメラ・ピークのハイキャンプで眺めたクーンブ山群が忘れられず、再度挑戦することで出かける。ハイキャンプからはエベレストを初めとしたクーンブ山群の展望が素晴らしい。寒い中で三脚を据えて夕焼けを撮る。アタックは6400m付近でアクシデントが発生して引き返した。

 翌年の2014年もクーンブ山群のチョー・オユーBCを再訪して、ゴーキョ上部第五湖でテント泊して朝焼けを、チョー・オユーBCでは、山頂に朝日が射して約3000mの雪壁を少しずつピンク色に染めていくチョー・オユーを撮る。夕焼けの撮影で「相反則不軌」という現象を体験する。

 2015年は2年前に体調不良で敗退したマカルーBCへの再チャレンジで出かける。今回はマカルーを東側から眺められる新しいコースで、奈良の友人と共に参加を決める。歩き始めて5日目に4200mの峠を越してバウレー・ポカリの好展望地に到着する。目の前にマカルーが聳え、遠くエベレスト、ローツェが望めた。10日目にやっとマカルーBCに到着する。エベレスト、ローツェも眺められるBC左岸上部に上り標高約5200m付近でマカルーやピーク4は綺麗にその姿を見せてくれた。

 2017年の春に五度目のゴーキョへ出かける。3年前に突然の大雪でレンジョ・パスを越えてナンパ氷河を歩くことが出来ず、今回再チャレンジとなった。ゴーキョ上部第五湖にて三泊し、お気に入りの氷河のモレーンに出かけて、早朝はチョー・オユーを、夕方はエベレスト、ローツェなどを撮った。その後、念願のレンジョ・パス(峠)へ向かい5360mの峠の狭い場所でテント泊にする。翌朝は快晴でロルワーリン山群のすばらしい朝焼けで明けた。下ってナンパ氷河を遡りパンブク、タンナク・リ、ダン・クルー、シンカールなどが望められるチュレー上部の小さな湖の側に二泊、さらに氷河を遡りスムナ氷河との分岐部の台地に上がると展望が開けて、目の前の氷河の先に中国との国境に聳えるチョー・アウイ、ナンバイ・ゴスム、さらにチョー・オユーが望められた。長年思い描いていた場所に来られて、しばしシャッターを押すのも忘れてじっと眺めていた。此所に二泊して朝に夕に変化する山々を思い残すことなく眺めた。

 2017年秋はChulu Far East6059m)を無事登頂して3日後に写真トレックに出かける。チュクン・ピーク(5400m)でヌプツェ、エベレスト、ローツェ、マカルー、アイランドピーク、アマダブラムなど、好天気の中で思い残すことなくシャッターを切ることが出来た。翌日からはアイランドピークを左に見ながらAmphulapcha Tsho(湖)の側を右奥に入り、5845Amphu Lapcha La(峠)を越え、さらにHonggu Khola(川)沿いに下って、5443mのMera La(峠)を越え、さらに5010mのZetra La(峠)を越えて出発点のルクラへ戻る周遊コースを21日間で歩いた。

アンナプルナ山群
 2014年のゴーキョでは突然の大雪でその後の予定を中止して、アンナプルナ山群南面のコルチョン・ピーク(3682m)に行くことにした。アンナプルナ・Ⅰ峰、サウス、Ⅳ峰、Ⅱ峰、マチャプチャレなどが望める。が、此処でも天候が良くなくて夕焼けは今一で、朝焼けも下山する朝の一回のみだった。

 翌年の2015年はマカルーBCから戻った後にアンナプルナ南西面のコプラ・ダンダへ向かう。プーンヒル以上に差し迫るアンナプルナ、ダウラギリの二大山群の展望が広がっていた。目の前にアンナプルナⅠ峰、右にサウス、左にダウラギリⅠ峰、トゥクチェ、ダンプス、ニルギリなどが望めた。

翌年の2016年は山群の北側にある標高5322mのカン・ラ(KangLa)を越えて、小さなポカリ(湖)のある場所(標高約5450m)にテント泊をして、アンナプルナ山群を北側から眺めた。テントから稜線に上ると目の前にアンナプルナ山群がドーンと望める。左からラムジュン・ヒマール、Ⅱ峰、Ⅳ峰、Ⅲ峰、ガンガプルナ、Ⅰ峰、ロック・ノアール、ティリツォ・ヒマール、遠くにダウラギリⅠ峰と展望は抜群だ。東側を望むと、ギャジ・カン、カン・グルー、マナスル、ピーク29、ヒマーン・チュリーなどが望めた。三連泊して朝焼けの撮影を始め、稜線を歩きながら山々を撮ってきた。朝焼け、夕焼けとも「相反則不軌」作用を利用して撮ってきた。

ジュガール・ランタン山群
 ランタン山群へは写真山行としては訪れていなかった。2012年にランタン谷の最奥からシシャパンマを撮る為に出かける。ジュガール山群のランシサ氷河を遡る。戻ってランタン氷河へと入り、最終目的地のハー
ゲンのコルへ向けて氷河を歩く。モリモトBCまでは踏み跡があるが、その先は氷河のクレバスと崖から落ちてきた大小無数の石だけ。キュンカ氷河出会、ゴルドウムの尾根末端、さらにゴルドウムの尾根を回り込んでハーゲンのコルへ向けて右側の氷河に入る。標高5600m付近の平らな岩場から目の前に待ち望んだシシャパンマの姿を確認する。氷河の無数のクレバスとセラック帯が広がっていた。振り返ればランタン氷河右岸の山々や、ランタン・リが一段と大きく聳え、荒々しいランタン氷河も望められた。ハーゲンのコルへは無数のクレバスやセラックなどで此処までで止しとした。ランシサ氷河やランタン氷河の奥に入るに従って、山の姿が刻々と変わるのも興味深かった。帰りにヤラ・ピークに登ってすばらしい展望を得ることが出来た。さらにランタン・リルンBCから見上げほどのランタン・リルンを眺めた。

ロルワーリン山群
 ロルワール山群を歩くのは初めてで、201210月のメラ・ピークサミット後に出かける。今回特に行きたいところは「マンルン・ラ(5616m)」と「テシ・ラプチャ(5755m)」で、アイゼン等の登攀道具が必要なコースだった。マンルン・ラへは標高4750m付近をハイキャンプとし、翌日早朝に峠へ向けてスラブ状の岩を登り始める。氷河の舌端に到着後、アイゼンを装着して氷河のクレバスを避けながら迂回を重ねる。悪戦苦闘の末に標高差約1000mを7時間もかかって峠に到着、12時を回ってしまった。遠くチョー・オユーも眺められた。その後ロルワーリン谷をさらに奥へ進み最奥の氷河湖ロルパ湖に出る。さらに奥に進みピクフェラゴが目前に迫ってくるテシ・ラプチャBCに辿り着く。翌日早朝に出発してガレた岩陵を登り広い雪原に出て峠への登り口でアイゼンを装着する。峠にからはパルチャモがなだらかな山容を見せている。テント場は崖直下に数張りのスペースしかない。クスム・カングルの夕焼け、パルチャモの朝焼けなどを撮る。

 2017年3月に念願のレンジョ・パス5360m(峠)の狭い場所でテント泊にする。翌朝は快晴でロルワーリン山群はすばらしい朝焼けで明けた。ナンパ氷河へ下り氷河を遡ってチュレー上部の小さな湖の側にテント泊とする。さらに氷河を遡りスムナ氷河との分岐部の台地に上がると展望が開けて、目の前の氷河の先に中国との国境に聳える山々、さらにチョー・オユーが望められた。長年思い描いていた場所に来られて、しばしシャッターを押すのも忘れてじっと眺めていた。朝に夕に変化する山々を思い残すことなく眺めた。


パキスタン

マッシャーブルム山群
 フーシェ谷へは2005年にK7BCへの写真トレックで訪れている。2011年はバルトロ氷河側からとは違った姿のマッシャーブルム(K1)を眺めることで出かける。トレッキング五日目に標高4680mのフスパンに到着する。が、その後天候が悪く峠の状態は危険と判断して、下山することになった。下山を決めてからは写真撮影に本腰を入れて撮り出す。ダルツァンパでのK1の朝焼けを快晴の中で撮れ、サイチョウへの下山途中からも又違った姿のK1を眺められた。

 

戻る