南与野8:04―大宮8:12、8:24―久喜8:44、8:52―館林9:21、9:23―太田9:51、駅北口9:56・・・金山城址11:10/11:35・・・駅北口12:41頃、太田12:47―
館林13:17、13:19―久喜13:48、13:51―大宮14:11、14:19-南与野14:26
群馬県の金山城址へ出かける。金山城は戦国時代に造られた城で、金山山頂の実城(本丸)を中心に、金山全体の自然地形を利用して造られた「山城」という種類の城です。まだ天守閣がつくられるより古い時代の城であり、堀切や土塁・石垣など土木工事(普請)を中心とした遺構がよく残されています。
東武線太田駅から歩き始める。約50分で金山城ガイダンス施設に着いてパンプレットや道順を聞く。金山へは車道を何度か横切って直登コースで登る。約20分で急な石段を登り本城に到着する。さらに進んで金山山頂の実城(新田神社)に到着する。此処が本丸跡になっている。神社一回りし裏側に本丸残存石垣を眺めて三の丸を通り日ノ池、大手虎口南上段曲輪、大手虎口、休憩所と廻る。下山は見学コースでは無く管理用道路を下り途中から県道金山城址線をのんびり下る。
大光院の傍に大きな鳥居らしき建物(大門)が国道を跨いで設置されている。その柱に「三つ葉葵」の紋章があった。太田市に問い合わせると昭和時代に作られたものらしい。大光院の正式名称は「義重山新田寺大光院」で、慶長18年(1613)、徳川家康により、彼が先祖と仰ぐ八幡太郎源義家の孫新田義重(新田氏の祖)を追善するため、創建された浄土宗の寺院で、江戸時代は関東十八檀林の一寺に属し、幕府から朱印地300石が与えられていました。
太田市は“太田市徳川町”の地名にもあるとおり、戦乱の世を治めた300年の太平の世の礎を築いた徳川家康公が「わが遠祖は、上野国新田の一族徳川氏である」として、祖先の地としています。徳川氏の祖は上野国新田郡一円を支配していた源氏の嫡流新田氏であるとされています。
お寺の入り口の門には、三つ葉葵の紋所が付けられ、このお寺が徳川将軍家ゆかりの寺であることを示しています。以前は朱塗りの大きな木製の門がありましたが、今では、コンクリート製のモダンな門(大門)に替わりました。
そんなことで徳川氏の家紋である「三つ葉葵」を付けたのだろうと思われます。
大光院の大門
久し振りに直登コースの急な登りを上ったので腰痛が残っている状態では結構辛かった。が、見学場所を選んで二の丸、物見台下虎口、物見台等を省いて予定より早く下山出来た。
本丸残存石垣
本城への石段
大手虎口
新田神社(本丸跡)
名城めぐり・金山城址
2月5日